ウオーキング、時々トレッドミル

気が付けば60歳!! 旅と写真が好き。8年前に思いついてダイエットとウオーキングで標準体重に。また体重が戻り始めたのでトレッドミルも使って健康維持頑張ります。

笑顔になりたい。

夫と別居してから約一年が経過しました。



約25年の結婚生活、何がうまくいかなかったんだろう?と自問した時に、色々な言い訳が頭に浮かびました。


夫は今で言う、ADHD/アスペルガー症候群の特性を持っています。結婚するころからちょっと変わった反応をする人だなぁ。とか、約束の時間を守ることができない。とか、不思議君ではありましたが、IT関連で収入も良かったし、穏やかで、家事も全く公平で女だから何をしなければ!というようなプレッシャーもなく、始め暮らしていた土地では、私の交友関係を基に恵まれた生活を送っていました。


その後、今の土地に引っ越したのは、気候の良さと、住宅の広さなどが大きな理由でした。


どの家庭でもあるように、子供の成長に合わせ、楽しいことも苦しいことも経験していきましたが、10年ぐらい前から夫とのコミュニケーションがおかしくなっていました。


子供たちの発達障害関係で怒涛のように過ぎた10年の後、実は、一番発達障害が大きい人は夫だったのではないかと、まぁ、気付くのが遅い私も空気の読めないスペクトラム内の人なんだろうと思いますが。


IT関連も60歳にもなると、仕事は本当に限られてきます。
彼は、55歳のころ、Midlife crisisとでも言いますか、突然働いていた職場を休職し、年収半分の職場に誘ってもらって働き始めたころから、鬱の診断が下りています。
2年後に職場復帰も可能でしたが、復帰1週間前に、やっぱり戻れない。と。


その後は、坂を下るように離職と再就職探しの繰り返しの日々でした。


幸い私は、子供たちの発達障害に関わる中で、学校の特別教育に関わる部門でパートタイムの仕事を得ることができ、家のローンも完済していましたので、日々の暮らしは贅沢はできないものの、特に借金することもなく生活することができていました。


早いもので、もう二年前になりますが、夫との関係修復にもなればと、60歳祝いと結婚25年祝いを兼ねて、ちょっと豪華なクルーズも入れた旅行でもしようか。と話していた時期がありました。
知人が行ったヨーロッパでのクルーズが良かったらしいと夫に話して計画しようとしていたのです。


夫は計画を立てることが不得手です。いつも最後の最後まで引っ張って、忘れていたころに結論を持ってくる。そんなことがADHDの特性だと気付いたのは、やはりこの5年感でしたが。


穏やかで優しい人でしたが、この十年ほどは不機嫌なことも多く、仕事の減少や鬱などで、彼の嫌な部分も見られるようになってきました。


旅の計画のような楽しい場面が共有できない。
ともすれば、これは自分の特別な誕生日の旅行だから自分に決定権があるようなことを主張したこともありました。


心が折れるという言葉がありますが、未来をどうやって共有していけるのだろうと感じた瞬間でした。


結局コロナ騒動でどちらにしても、実行不可能な計画でしたが、自分の計画性のなさを認めたくない彼は、私に挑戦するかのように自分の旅の計画を立てますが、まるで高校生が思い描くような旅の計画。
そして、将来一緒に暮らしてはいけないと思うと伝えた私に、白黒でしか反応できない彼は、即離婚ー財産分割という話に発展したのでした。


日本と違って、こちらでは離婚には12か月以上別居していないと離婚の申請ができません。けれども財産分割の手続きはすぐ始められます。きっと彼はその過程で私が音を上げて離婚は不利だから思いとどまると期待したのだと思います。
私だって、最悪の事態を想定していなかったらたやすく離婚調停などと言い出すことはしません。


結果的に、とても苦い経験でしたが、子供たちは共に成人していることと、借金がなかったこと、投資用物件があったことなどで、自宅は私の名義になり、子供たちも普通通りの生活を送ることができました。


その間に、やはり、孤独や将来のことを考えれば心が揺れることがあります。
夫は私になぜ別れるのかわからない。また一緒に暮らせないか?と言います。幸せに暮らしてほしい。
素直に謝罪してくる夫の言葉に心が揺れ、もしかしたら、また暮らせるかも。と思いました。


昨夜、イースターで長男も戻ってきたこともあり、夫も招待して、シーフードミックスフライの食事をしました。(金曜日はシーフードがクリスチャンの決まり事だそうです)


小麦粉つけて、卵汁に付けてパン粉を付けて、ホームメードのフライはサクサクしてやっぱり美味しいねって、子供たちが喜んでくれるものだったので、夫も喜ぶかなと思ったのです。
でも、反応は、別居前と同じ。
私がどう?って聞くまで何も言わない。
このタルタルソース、私の好きな味なの。このイカフライ、次男がおいしいって言ったんだよね。などなど。料理に関して話すのは主に私と長男。全然盛り上がらない会話。


結局、フライは胃にもたれるからあまり食べられない。って。


ふぅ。
私も怒りが~~~~。


これだったんです。
日々の小さなコメント。人を喜ばせるちょっとした言葉。それが欠けていた私たちの関係。
それが積み重なって、別れよう。と思わせたんです。
笑顔になれる瞬間がなかったんです。
いつの間にかこわばっていた私の顔。


発達障害の特性は理解してもそれが自分のパートナーとなると辛いです。
日々のちょっとした喜びを共有できるそんな相手でなければともに暮らす中で幸せを見つけることは難しい。


そんなことを再確認した夜でした。


本来なら、そんなこと、相手に伝えることは無いのですが、彼はそういうことがわかりません。コミュニケーションが苦手なのはわかるけど、小さな気持ちのこもったコメントが関係を築いていくんだよ。それが私たちにかけていたから別れたいと思ったんだよと彼には伝えました。
孤独な彼の後ろ姿を見送りながら、二人でいる孤独より一人でいる孤独のほうが良いんだよ。なんてことを、思ったのでした。