ウオーキング、時々トレッドミル

気が付けば60歳!! 旅と写真が好き。8年前に思いついてダイエットとウオーキングで標準体重に。また体重が戻り始めたのでトレッドミルも使って健康維持頑張ります。

次男は奇跡の子。

私の次男は、今年20歳。
自分の年がこたえられるまで5年10カ月かかりました。
1歳半ぐらいから目の端でTVの画面を追う行動があり、超偏食、癇癪もあり、自閉症スペクトラムの診断が下りていました。
スペクトラムの中でも知的障害を伴うもの、学習障害、ADHDを伴うなどいろいろなものがあります。まぁ、だからスペクトラムなわけで、私もおそらくそのどこかには存在してる気がします。



我が家は長男が、言葉が非常に遅く、不安感が異常に高く、3歳の時に発達小児科医に恐らく自閉症スペクトラムという診断が下りていまして、その時点で、我が家の言語は英語に統一になりました。今は二人とも日本が大好きでビデオやTVなどで、日本語をちらほら使ったりしていますが、いわゆる外人さんの日本語程度です。


当時、自閉症と言えば、ダスティンホフマンの演じたレインマンしか頭に浮かばなかったのです。なんだなんだなんだ。私の子供は障碍者になのか?一生会話もできないのか?
つい半年前までは、普通発達の子供の親だったはずが、障害児の親になった瞬間でした。


幸い、インターネットが普及して、Yahoo groupなど、情報交換のできるサイトがあり、そこでいろいろ情報収集。そこで得たのは、ともに頑張っている親御さんたちと、まだ何かできることがあるかもしれないという希望。


オーストラリアでは、発達小児科医が診断を下すと、就学前の早期療育介入が受けられます。親子学級のようなものから、4歳ぐらいで週2回、発達障害がある子達を集めて少人数で、スピーチセラピーや、行動療法などを基にした療育を受けたり、個人で、スピーチセラピーや、ABAという1対1で行う行動療法、ビタミン剤の大量投与。特別ダイエットなどなど。出来ることはもう、何でも試しました。
説によると5歳までが”Golden Door"と呼ばれ、それまでの間に、脳を普通の状態に戻せれば、普通の生涯が送れるかもしれないということ。
腸内環境が貧弱だから、脳に栄養がいかず、発達が妨げられているのではないか。という説が私の子供たちに関しては一番近かったもののような気がします。
幼児のころ、何度も繰り返した中耳炎。その度に投与した抗生剤。良いバクテリアを殺して、頭がぼーっとしている状態になっているんじゃないか。


次男は、5歳7か月の時点で”How are you? ”と”How old are you?" の区別がつきませんでした。何度もHow old are you?にはFive!と答えるんだよと言っても、How are you?にFive と答えたり、この子には言語は意味を成さないのかなぁ。と途方に暮れていました。
こちらでは、5歳から小学1年生になりますが、次男は1年遅らせていました。
療育施設の先生や、プリスクールの進路相談の先生は、養護学校を考えていたようです。親の私も、彼が、普通学級で過ごせるようにはどう考えても思えず、いいところはないかと養護学校を探し始めた矢先、何かの拍子に、以前使って効果のなかったサプリメントもう一度試してみようと思ったのです。
それは、腸の働きをよくするものでしたが、フィッシュオイルをあらかじめ与えておいてから加えるという投与の仕方でした。初めの時は、投与した夜中に腹痛で泣き、すぐ投与中止。その時からしばらく時間がたってるし、どうかなと思って試したら、三日もしないうちに次男が変わり始めたのです。
受け答えが始まり、年齢も答えるようになり、初めて開いたマクドナルドでの誕生会では、プリスクールや療育施設の友達を呼んで一緒に遊んでいる姿に本当に感動したものです。
その後、進路相談の先生から普通学級で間違いなしと言われた時のうれしさと言ったらなかったです。次男に奇跡が起きたと思った瞬間でした。


次男は、変化がとても顕著だったので、小学校入学後も不器用ながらも学業も中の下ぐらいの感じで卒業できました。次男は長男より社交的で友達も少人数ですが出来、High school でも普通に過ごしているように見えました。小学校後半からは学校でのサポートも必要なくなり、ASDという言葉を使うこともなくなりました。
ところが、High school で自分のしたいことがわからないまま、ゲームに逃避する日々が始まったのです。
長男は勉強が好きで、High schoolに行ってからは、課題や宿題をこなすのに、毎日何時間も机に向かっていたのに、次男は、そのすべてをゲームに費やしていました。私の夫からの叱責や、私からのプレッシャーには、いわゆるTeenagerのする態度で、勉学に関して興味はないようでした。
やりたいことはアニメーション関係。でも、手先が不器用なので、日本のアニメ業界のことを聞いたりしているとどう考えても、次男が仕事に就けるとは思えません。
高校卒業時、大学入学を希望しなかった彼は、日本への滞在を希望していました。
オーストラリアが嫌いだから日本に住みたい。
日本語も流ちょうに話せない状態で行ったところで挫折するだけ。
でも、それ以外に興味を見せず、学校卒業後毎日家でゲームばかりをしている次男はこのまま引きこもりの人生になってしまうのか?
悩んだ末、日本に行って日本語学校で学び、生活をしてみるのもいいかもしれない。という結論になり、本当は、今年の4月から、日本に行くことになったのでした。


その後は、世界中の皆さんと同じ。予定が全部中断になりました。
次男は、政府の出したコロナ救済措置にうまく引っ掛かり、この間お金も貯まり、以前に計画していた時よりも資金的に余裕ができました。
本人にどうするの?と聞くと、英語の先生の資格(初級のものは取得済み)をオンラインで受講するとか言っています。そして、ボーダーが開いたら、日本に行きたいと。



次男は1年ぐらい前、鬱と診断もされています。
私と夫の接し方にも問題があったようです。本人曰くHigh school のあたりの心の動きは語ってくれませんが、トラウマになっているようです。
半引きこもり状態ですが、同じようなネットづきあいの友達とよく会話していますし、週末バイトがあるときは、時間通り、文句も言わず働いています。
次男には、”あなたは奇跡の子だと思ったのよ。だから、頑張って自分の人生を生きて。
ここでゲームしてるだけの人生じゃないでしょ。”と話しています。


これからどうなっていくのか。心配ではあるけれども、親ができることはもうない、あとは彼次第。
また奇跡が起きることを祈って。