ウオーキング、時々トレッドミル

気が付けば60歳!! 旅と写真が好き。8年前に思いついてダイエットとウオーキングで標準体重に。また体重が戻り始めたのでトレッドミルも使って健康維持頑張ります。

旅が好き

初めて日本の外に出たのは、17歳の時、夏休みロスアンジェルスホームスティ プログラムで、30日間、確か産経新聞系の旅行社経由でした。




イーグルスのホテルカリフォルニアを高校一年生で聴いて、奇跡のようにコンサートにも行けて夢見ていました。コースはとても充実していて、夏休み中の教室を使って、英語の先生が私たちのグループの面倒を見てくれて、フィールドトリップも充実していて、Disney land, Universal studio,Knotts' berry farm などのバス旅行、Little Tokyo, Hollywoodなどの観光もしてくれました。週末はホストファミリーと過ごす生活。たったの4週間でしたが、永遠のように長く感じたホームステイプログラムは、私の人生に大きな影響を与えてくれました。

その後、将来何をしたいと言って、外国に行きたいぐらいしか思いつかない私は、旅行専門学校へ。
その専門学校の1年と2年の間に、当時始まったばかりのオーストラリアワーキングホリディを試してみたくて、休学願いを出し、オーストラリアへ。もちろん費用は半年アルバイトして、両親には、成人式の振袖代を出してほしいと願い出て、許可されました。私の父は、いつも私を信頼してくれてちょっと甘いぐらい、(実際とっても)金銭面のの援助をしてくれました。当時、マスターカードがまだ、豪州には進出していないことも知らずに、父にマスターカードの家族カードを作ってもらいキャッシングできるからと、20万円程度を持ったまま、渡豪。お金が出せないと気付いて、海外送金も間々ならないときですから、領事館あてに気付けで、現金を送ってもらったということもありました。


このワーホリの経験はまた、機会があったら書きたいです。初めてトライしたバックパッカーの旅。カナダからの旅行者に、Smiley とニックネームをいただいたのが懐かしいです。


その後、念願の旅行代理店勤務。JRのチケット売ったり、旅館の予約や、宴会の手配。国内旅行の手配はそんな感じでした。


27歳の時、転機が訪れます。世界一周旅行を夢のように語っていた私に、行かないの?と声をかけてくれた友達。そうだなぁ。結婚相手もいないし、(ニアミスでダメになったし)お金も貯まってたし、行っちゃおうかなって。
退職を決めて、沖縄でダイビングとアルバイトをした後、6か月、香港、オーストラリア、ニュージーランド、アメリカ、ハイチ、ヨーロッパ、モロッコそして香港、東京と旅しました。インターネットもスマホもない時代に、一眼レフカメラと沢山のフィルムと美容師の友達から頂いた大きなシャンプーとリンスを抱え、旅発ったのでした。


28歳で戻って、また旅行代理店勤務。バブルの残り香があるころで、結構良い条件で働かせてもらえましたが、また転機が。


ロンドンの旅行代理店開店スタッフ募集です。
当時、30歳ぐらいで33歳ぐらいに戻れば、まだ就職できるなぁと漠然と考えて、応募。
友達の手伝ってくれたResumeが素晴らしく、採用決定。
ロンドンでの暮らしが始まり、そこで知り合った豪州人と結婚、8年ロンドンで暮らしたのち、子供2人と豪州に戻ることになりました。家の広さ、天気のよさ、家族のいないロンドンより、家族のいるところのほうが子供たちにも良いだろうと。


子育てが始まってからは、海外旅行は日本に帰るだけになりましたが、だんだん子供たちの手が離れるころから、また、一人旅をはじめました。
初めは、クロアチアとイスタンブール。久々の自由に自分だけで動き回れる旅。やっぱり旅っていいなぁ。まだまだ行きたい場所や、戻りたい場所がたくさん。旅は人生のビタミン剤。来年は、またそんな時間が持てますように。